今週の本棚・この人この3冊:塚本邦雄=穂村弘・選

 <1>百句燦燦(塚本邦雄著/講談社文芸文庫/1365円)

 <2>定家百首(塚本邦雄著/『定家百首/雪月花(抄)』所収講談社文芸文庫/1365円)

 <3>西行百首(塚本邦雄著/講談社文芸文庫/1575円)

 短歌や俳句や詩が読み難く感じられる理由は、それらが韻文という超アナログな言葉の連なりだからだろう。根本的な解決法は読み慣れるしかないのだが、ひとつ特別な道がある。塚本邦雄の本から入る事だ。

 戦後を代表するこの歌人は詩歌全般に亘(わた)る天才アンソロジストでもあった。秘密は超デジタルな「目」にある。その「目」を借りる事で我々も詩歌の謎が楽しめるようになる。言葉同士のアナログ的関係性への解像度が上がって、自力では見えなかった世界が見えてくるのだ。芸術は解(わか)るものではなく感じるものという云(い)い方があるが真に受けたくない。本当に感じるためには解る事への意志が必要になると思う。

 『百句燦燦(さんさん)』は俳句のアンソロジー。そこに並んだ「短い言葉たち」は、私が漠然とこんな感じと思っていた俳句とは全く違っていた。

みどり子の頬突く五月の波止場にて(西東三鬼)

洗ひ髪身におぼえなき光ばかり(八田木枯)

抽斗(ひきだし)の國旗しづかにはためける(神生彩史)

向日葵(ひまわり)の蘂(しべ)を見るとき海消えし(芝不器男)

 感度の高い読者なら、この「選び」だけで、一気に俳句の面白さに開眼してしまうかもしれない。これらの句には絵画的映像的物語的な新鮮さがあって、韻文に慣れない読者にとっての入口になってくれるのだ。

 さらに塚本は解説の一行目をこんな風に書き出す。「馬は家畜の中で最も美しい」「雛壇(ひなだん)には女が四人ゐる」「月蝕(げっしょく)は地球の悪意である」「寺山修司はかつて一度も目を瞑(つむ)つたことがない」等々、このデジタルな断言は何なんだ。それぞれ「冬の馬美貌くまなく睡(ねむ)りをり(石川雷児)」「例ふれば恥の赤色雛の段(八木三日女)」「月蝕や頭翳(かげ)りて男立つ(小川双々子)」「目つむりてゐても吾(あ)を統ぶ五月の鷹(寺山修司)」に対応しているのだが思わず続きが読みたくなる。

 だが、どんなに絵画的映像的物語的に見えようとも、詩歌はあくまでも韻文である。塚本の鬼気迫るデジタル眼が、作中の一音に拘(こだわ)り抜く事で、逆に迫っても迫り得ない詩歌の魔を浮かび上がらせる。美しい幻が指の間から零(こぼ)れてゆく。駄目だ、やっぱり届かない、という絶望。その深さに触れる事が不思議にも読者としての私に裏返しの喜びを与えてくれる。本書の他に『定家百首』『西行百首』等も手に取り易い。

毎日新聞 2011年12月18日 東京朝刊